お寺の歴史


 

普舜院は天正3年(1575)創立されました。
開基は下総の国関宿城主 簗田中務大輔晴助

(法号 性海院殿節叟徳忠居士)で、父高助

(法名 冨春院殿海月徳聚公大居士)菩提の為、

水海村柳原に堂宇を建立、東昌寺七世明巌賢聡大和尚を請して開山とし寺号を水海山冨春院と称しました。

 


天正18年(1590)簗田中務大輔晴助落城の際、

兵火により焼失後、慶安元年(1648)8月、

徳川家光より御朱印十五石等を賜わり、元禄3年(169010月、関宿城主牧野成貞が中興開基となり、 寺を現在地に移転、寺号を水海山普舜院と改め、現在に至っています。

記写真は『一字一石塔』の碑

1801年(享和元年)5月設立。1801年(享和元年)5月設立。

13世紀弧産臨峰大和尚は現在碑のある南方『表の前』地内が深淵多く、 毎年 溺死事故が絶えなかった、供養と水難除けの為、三七日〜21日間〜 ご祈祷とされ、栃木県間々田の思川から、運んだ小石に『大乗妙典法華経』と 云うお経の文字を一つの石に一字づつ書き込んで、深淵に埋め供養にしたと 伝えられています。 現在は『水神宮』の碑も設立され、今に至ってます。